SHORT COLUMN
ショートコラム
甘夏のはじまり 第1章_夏美の場合
甘夏のはじまり
この夏、ウェブエイトのメンバーが交代で綴るショートストーリーをはじめます。
台本やルールはありません。
登場人物も、物語りの舞台も、自由自在。
このあと、どう展開するかも、その人次第です。
決まっているのは、「甘夏のはじまり」というタイトルのみ。
さぁ、夏が始まります。
■
「よかったら、私のモーニングチケットをどうぞ。」
漂う風に
少しだけ雨の匂いがに混じっていた。
梅雨の気配を感じて、あの時のことを思い出したのは
懐かしかったからじゃなく
あの人の言葉が自分の中に確かに残っていたからだ。
あの日が火曜日じゃなかったら。
次の日が水曜日じゃなかったら。
また会えていたんだろうか。
■
佐々木夏実、26歳。
平日の朝は、だいたいここにいる。
ここでモーニングを食べてから1日をスタートするようになったのは
新卒で入社したいまの会社にも
いよいよリモートワーク勤務が導入されたからだ。
週の初めはメンバーみんなでMTG三昧だが
火曜日からは基本的にどこで仕事をしていてもいい。
会社にいれば「仕事をしている」と見なされやすい日々からの解放は
実はとても現実的な成果を求められる。
自由を与えられたように見えるが、決してそうじゃない。
なるべくしてなったこの変化を
私はとても前向きに捉えていた。
7時にオープンするこのブックカフェは、朝の鮮度が高いと思う。
開け放たれたドアからは、夜の置き忘れのような冷たい風が流れ込み
高い天井に流れていく。
大通りに面しているわりに、どこかひっそりとしているここは
朝は朝の、昼は昼の、夜は夜の顔を持つ。
「お待たせしました」
“今日もいい朝だ”と思っているうちに
店主が淹れるコーヒー、の香りとともに
直火で焼かれたバタートーストがやってきた。
バタバタの朝を乗り越えて毎朝のように通う私にも
丁寧で、親しみやすい笑顔を毎日くれるここの店主はちょっとしたまちの有名人。
彼に会いたくて、多くの人がやってくる。
バタートーストを食べ終わる頃には
近くに住む大学教授や
ダイナーを営む腕利きのシェフ
なにやら相談をしにきた大学生までやってきた。
8時を過ぎるころ、
学校へ向かう高校生や保育園の送迎帰りのママたちが通りを賑わし
それを合図に私はPCに目を向けた。
今日の仕事の予定とタスクを確認して、ふと気がついた。
明日があの人と出会った日だということに。
■
3年前。
私はその日も7時ちょっと過ぎに窓際に席を取り
レジにモーニングを注文しにいくと
なにやらもぞもぞポケットを広げている人がいた。
「あーもー、財布がない」
シンプルだけど仕立ての良さそうな生成りのシャツを着ていて
その身なりと慌てた様子とのギャップに思わず笑ってしまった。
「よかったら、私のモーニングチケットをどうぞ。」
すこしの笑いを噛み締めながら私は言った。
いい人ぶりたかったわけでないし
ただ親切にしたかったわけではない。
仕事でうまくいかないことが続いていたので
ちょっとそんなことをしてみたくなったのだ。
それに、ちょっと話をしてみたい人だった。
その人はこのまちに旅行で訪れ
ドミトリーのオーナーに紹介されたというこのカフェにやってきたのだという。
はじめて訪れたというこのまちをたいそう気に入り
どんなに魅力的かを話してくれた。
かなり話をしていたのだろう。
その店はいつの間にかすっかり昼の顔になり
私はというと
今の自分に起こっていることを洗いざらい話してしまったのだ。
「あなたって、すごく自信がありそうなのに、すごく弱虫なのね。
でも好きよ。甘くて苦い、甘夏みたいで」
見透かされた。わかっていた。
自覚してしまったことに動揺し、言葉が出なくなった。
「明日もまたくるの?きっとまたお会いできる気がする。」
次の日は水曜日。
このカフェは、定休日だ。
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writing by shoko imazeki